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盛岡地方裁判所 昭和52年(ワ)215号 判決

原告 野崎トヨ

被告 京成運輸株式会社

主文

被告は原告に対し金二、九八八万二、九九九円および内金二、八四八万二、九九九円に対する昭和四九年五月二一日から支払済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを四分し、その一を原告の負担とし、その三を被告の負担とする。

この判決の第一項は、内金一、〇〇〇万円については無担保で、その余の部分については金五〇〇万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

(一)  原告

被告は原告に対し金三、九六八万一、三二四円および内金三、六〇八万一、三二四円に対する昭和四九年五月二一日から支払済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告の負担とする、との判決および仮執行の宣言。

(二)  被告

原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする、との判決。

第二当事者の主張

一  請求原因

(一)  事故の発生

昭和四五年九月一八日午前六時一〇分、岩手県二戸郡一戸町一戸字蒔前九の一三先路上において、訴外堀内初男が大型貨物自動車を運転して北進中、右折のため停止していた訴外野崎博(博という)運転の軽四輪自動車に追突した。

(二)  帰責原因

右堀内は被告(当時の商号はみちのく急送株式会社)の従業員で、同人運転の前記自動車は被告の所有であつたから、被告は、自動車損害賠償保障法三条によつて、本件事故に基づく損害を賠償する責任がある。

(三)1  受傷の態様

博は頭部外傷、頸部捻挫、腰部背部打撲の重傷を負い、直ちに岩手県立一戸病院に入院したが、約三日間人事不省の状態が続き、瞳孔縮小、対光反射遅鈍、嘔吐、頭痛、めまいの現象がみられた。

2  受傷後の状況

イ 昭和四五年一二月五日一戸病院を退院し、その後通院治療を続けたが、頭重、めまい、耳鳴、身体異和感、意欲低下等の症状が続き、それらの症状は治療により軽快したが、完治しなかつた。

ロ 昭和四六年一二月二六日博と被告との間に、被告は博に対し、本件事故に基づく博の損害の賠償として、治療費三一万七、三〇三円、休業補償費一七万五、〇〇〇円、車輛損害二九万五、〇〇〇円、慰藉料二五万円合計一〇三万七、三〇三円を支払う旨の示談が成立したが、当時博は健康体に復していなかつたが、被告の要望により示談したものであり、後遺症が発生したときは協議のうえ解決する旨の約束があつた。

ハ 円形脱毛症

博は昭和四七年六月ころ頭部に円形の脱毛を生じ、同月二日から二戸市菅医院および岩手県立中央病院に通院治療を受け、同四八年一〇月一〇日ころ軽快した。円形脱毛症は精神的緊張からも生ずると言われているので、本件事故によつて精神的、肉体的苦痛を受けたことと無関係ではない。

ニ 腎炎および腎性高血圧の発病

博は昭和四八年三月一二日鼻出血のため一戸病院に通院治療を受けたが、その症状は鼻出血、高血圧、感冒であつた。同病院では褐色細胞腫、結節性甲状線腫の疑をもち、同月一五日精密検査の目的で岩手医科大学附属病院に紹介、入院させた。右医大病院の診断の結果は、右病症は認められず、慢性腎炎、腎性高血圧ということであり、尿蛋白があり、排尿が悪く、腎組織の検査を実施したが組織がとれないため検査未了のうち、同年六月四日博の希望により退院した。その後、博は同年六月一六日から同四九年三月一日まで右慢性腎炎、腎性高血圧症治療のため二戸市小原医院に通院した。同医院では専ら対症的に治療を実施したが、一進一退であり軽快しなかつた(なお、同医院では急性腎炎と診断したが、慢性症状を呈しているうちに症状悪化により急性となることがあるものである)。右の間昭和四八年六月二五日頭重感を訴えて中央病院の診察を受け、慢性腎炎の疑いと診断された。

ホ 死亡

博は昭和四九年五月一八日正午ころから呼吸困難、胸部絞扼感を訴え、同日午後一〇時ころから吐血するようになり、一九日午前三時ころ一戸病院に入院し、各種ビタミン、止血剤の点滴を受けたが、二〇日午前二時五〇分ころから血便多量となり、脈搏結滞、意識混濁状態に陥り、同四時二五分死亡した。死因は消化管出血と診断された。高血圧症はしばしば消化管出血を伴うことが多く、腎性高血圧と消化管出血との間に因果関係があるものと考えられている。

(四)  本件事故と示談成立後の病症および死亡との因果関係

博は、昭和四五年一月一二日菓子製造の免許を得るため身体検査を受けた際、消化器、呼吸器、神経系、皮膚、血行器等正常、既往症なし、体格、栄養共中等で、全く健康であつた。また、スポーツマンであり、行商など肉体労働に従事していたが、本件事故による受傷後前述のようにつぎつぎと身体に異常を生じ、ついに腎性高血圧による消化管出血により死亡するにいたつたものである。右一連の病気は受傷と相当因果関係あるものであるが、死因となつた消化管出血の原因である腎性高血圧については、昭和四八年三月一二日一戸病院で高血圧症が判明し、ついで岩手医大病院の検査により慢性腎炎、腎性高血圧症と診断されたが、いつころ発病したかは正確に判明しない。慢性腎炎は、急性腎炎に罹つて完治しないまま慢性腎炎に移行する場合もあるし、病気の始りや進行が判らず、病気が発見されたとき慢性腎炎になつていたという場合があり、博の場合、事故後常に身体の不調に悩まされていたので、発病の時期が事故による他の病症と混同していたため、判明しなかつたのではないかと思われる。右腎炎の発生は、受傷の際の背部腰部打撲により腎機能の低下ないし悪化があつたことによるものと思われる。なお、右慢性腎炎については、前述したところと異なり、本件事故による高血圧により慢性腎炎に罹患したということも考えられる。すなわち、本件受傷により一戸病院に入院し、昭和四五年一二月五日退院した後頭痛、頭重に悩まされていたこと、同四七年三月一二日一戸病院の治療を受けた際、博は「頭全体が圧迫された感じがあり、この症状はときどき出現する。」と述べていること、一戸病院の紹介に基づく岩手医大病院の精密検査においてレニン活性ノーマルの判定が出ていることから、高血圧先行による腎炎発生の可能性を推定させるのである。

しかし、現代医学の水準では慢性腎炎の発生原因を解明することは困難であり、本件事故と死亡についても何らかの科学的因果関係があるものと考えられるけれど、理論的に解明することは無理である。そうすると、本件については一般的、常識的に判断すべきであつて、博は、本件事故による受傷がなければ前述の経過をたどつて死亡することはなかつたのであり、本件事故により重篤に健康のバランスを失つたため、つぎつぎと身体が衰弱し、前述の経過をたどつて死亡したものであるから、本件事故と博の死亡は相当因果関係の範囲にある。

(五)  損害

1 逸失利益 三、〇〇八万一、三二四円

博は働きながら昭和四二年三月定時制高校を卒業し、卒業後兄の経営するこんにやく製造販売業の手伝をしながら自分で魚を仕入れて売捌き、一か月五〇万円程度の粗収入を得ていたが、若年のため将来の生活は固定していたものとはいえないので、得べかりし収入を賃金センサス所定の平均賃金によつて算定することとする。博は昭和二三年五月一日生で死亡時満二六才であつたが、賃金センサス昭和五〇年第一巻第一表年令階級別きまつて支給する現金給与額、所定内給与額によると、男子労働者の年間平均給与額は二〇五万三、八〇〇円で、生活費を収入の三分の一として控除すると一三六万九、二〇〇円となるところ、博は死亡時より四一年間就労可能であつたと考えられるので、新ホフマン係数二一・九七〇を乗じた三、〇〇八万一、三二四円が逸失利益となるが、右請求権は母である原告が相続により取得した。

2 博の慰藉料 二〇〇万円

博は示談成立後後遺症で苦しんだが、その精神的損害の慰藉料として二〇〇万円が相当であり、右請求権は原告が相続により取得した。

3 原告の慰藉料 四〇〇万円

原告は亡夫との間に三男二女を儲けたが、博は末子で最も可愛がり、前途を期待していたが、受傷により苦しみながらついに回復しないで死亡にいたつたことにより、その精神的苦痛は筆舌に尽し難いものがあり、その慰藉料として四〇〇万円が相当である。

4 弁護士費用 三六〇万円

本件訴訟追行のため訴訟代理人を委任した費用として三六〇万円をもつて相当とする

(六)  よつて、原告は被告に対し右損害金三、九六八万一、三二四円および内金三、六〇八万一、三二四円する死亡の日の翌日である昭和四九年五月二一日から支払済にいたるまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する答弁

(一)項(事故の発生)の事実は認める。(二)項(帰責原因)は被告が運行供用者であることは認める。(三)項について、1(受傷の熊様)は、博が頸部捻挫、腰部背部打撲を受けたことは認めるが、右捻挫および打撲が重傷であつたことおよび人事不省であつたことは否認し、その余の事実は不知または争う、2(受傷後の状況)イの事実は不知ないし争う、ロは原告主張の示談契約が成立したことは認めるが、示談成立の経緯については否認する、ハないしホは、博が昭和四九年五月二〇日消化管出血により死亡したことは認めるが、その余の事実は不知、なお本件事故と円形脱毛症との因果関係は否認する。(四)項(因果関係)は、博の死亡と本件事故との間に相当因果関係があることは否認する、その余の事実は不知、博は消化管出血で死亡したが、右出血の原因は慢性腎不全すなわち尿毒症であり、本件事故による受傷(外傷)と右の慢性腎不全との因果関係については、右腎障害発生時点における臨床記録がないので、因果関係を肯定するに足りる証拠はない。仮に右の腎障害発生時点において外傷が何らかのかかわりあいがあつたとしても、外傷による場合の腎障害は急激な悪性経過(死亡)をたどるのが普通であつて、慢性化(慢性腎炎)移行することはない。結局博の死亡と本件事故との間には相当因果関係は存在しないものである。(五)項(損害)の事実は不知ないし争う。

三  抗弁

原告の本訴提起は博が死亡した昭和四九年五月二〇日から三年を経過しており、原告の損害賠償請求権は時効により消滅しているから、被告は昭和五二年九月六日の口頭弁論期日において右時効を援用した。

四  抗弁に対する答弁

消滅時効の起算時は損害の発生および加害者を知つたときと解すべきところ、博の死亡と本件事故との因果関係は必ずしも明らかでないので、原告は博が治療を受けた病院を尋ねて診断書を貰い受けるなど昭和四九年一二月二五日ころまで死亡原因の追求を続け、そのころその死亡と本件事故と相当因果関係あると確信するにいたつたものであり、時効の起算時は昭和四九年一二月二五日であるところ、本件訴を提起したのは同五二年七月一五日で三年を経過していない。

五  再抗弁

仮に博の死亡による損害賠償請求権の消滅時効の起算時を死亡時と解しても、原告は昭和五一年一月六日ころ二戸簡易裁判所に被告を相手方として損害賠償請求の申立をしている。そもそも催告とは履行請求の意思の通知であるが、その方式、方法の如何を問わず、裁判上の請求、支払命令、和解のための呼出、任意出頭等はいずれも催告的効力を包含するので、民法一五三条により訴が却下又は取下げられた後六か月以内に訴を提起すれば時効中断の効力が発生するのである。このことは調停についても同じであり、調停期日に相手方が出頭した場合には口頭で請求内容が告知されて催告の意思の通知がなされるわけで、この催告の効力は調停終了まで継続していることになる。ところで、右の調停は昭和五二年二月一七日、同年六月二三日調停期日が開催され、原告は一貫して履行請求の意思を明らかにしており、右調停は右六月二三日取下により終了したので、原告は六か月以内である同年七月一五日本訴を提起したので、消滅時効は中断された。

六  再抗弁に対する答弁

調停の申立は民法一五三条に該るものではなく同法一五一条に該当するところ、右規定の消滅時効中断の効力を生ずる訴提起の期間一か月は調停の場合は民事調停法一九条によつて二週間に修正されるべきものである。そうすると、本件訴の提起は、右調停取下があつた昭和五二年六月二三日から二週間を経過しているので、中断の効力を生じない。

第三証拠〈省略〉

理由

一  本件事故発生の事実は当事者間に争いはなく、成立に争いのない甲第一五号証、第一六号証の一ないし八、証人田村清美の証言および原告本人尋問の結果によると、博は本件事故により頭部外傷、頸部捻挫、腰部背部打撲の傷害を受け、事故発生の日である昭和四五年九月一八日から同年一二月五日まで一戸病院に入院し、その後同四六年二月一二日まで同病院に通院して治療を受けたことが認められ、これに反する証拠はなく、同四六年一二月二六日博と被告間で原告主張のような内容の示談が成立したこと、博が同四九年五月二〇日消化管出血により死亡したことおよび被告が堀内初男運転の自動車の運行供用者であることは当業者間に争いがない。

二  そうすると、被告は自賠法三条により本件事故に基づく損害を賠償する責任があるところ、前記示談は後遺症が生じた場合の損害を含まない示談であるから、もし右示談成立後の博の病症および死亡が本件事故に基づく後遺症に因るものであるときは、被告は右示談成立後の博の病症および死亡に基づく損害を賠償する責任があるというべきである。

三  そこで、右示談成立後の博の病症の状況および本件事故と右病症ならびに死亡との因果関係について検討する。成立に争いのない甲第五号証、第六号証および第一七号証の一ないし一九によると、博は昭和四七年六月二日から同四八年三月二〇日ころまで円形脱毛症(円形禿髪症)で医師の治療を受け一応治癒とされ、さらに同四八年六月二五日から同四九年一〇月一〇日ころまで多発性円形禿髪症で医師の治療を受けて軽快とされたことが認められ、これに反する証拠はない。

成立に争いのない甲第七号証、第一八号証、第二一号証および第三〇号証の一ないし二三によると、博は昭和四八年三月一一日鼻出血で一戸病院で治療を受けたが、高血圧症、感冒の診断を受け、なお、褐色細胞腫、結節性甲状線腫の疑があるということで、検査のため同月一五日岩手医大附属病院に入院し、慢性腎炎の診断を受け、腎組織検査の予定であり、病症も退院は無理であつたが、博の退院の希望が強かつたため、同年六月二日退院したことが認められ、これに反する証拠はない。

成立に争いのない甲第八号証、第九号証、第一九号証、第二二ないし第二五号証、第二六号証の二および七、第二七号証、第二八号証および第二九号証の一ないし九によると、博は昭和四八年六月一四日から同月二八日まで(実日数三日)一戸病院で腎炎の治療を受け、同年六月一六日から同四九年三月一日まで二戸市小原病院で急性腎炎、腎性高血圧、高血圧性脳症などの病名で通院治療を受けたが、軽快しないまま通院を中止し、なお、その間同四八年六月二五日中央病院で頭重感を訴え慢性腎炎の疑で検査を受けたことが認められ、これに反する証拠はない。

成立に争いのない甲第一一号証、第一九号証、第二〇号証、第二四号証、第二五号証、第二六号証の一ないし七および第二九号証の一〇ないし一九ならびに鑑定人木村武の鑑定の結果によると、博は昭和四九年五月一五日中央病院で血液等の検査を受け、同月二〇日同病院に通院の予定のところ、同月一八日正午ころから呼吸困難、胸部絞扼感を訴え、同日午後一〇時ころから吐血するようになり、同月一九日午前三時ころ一戸病院に入院したが、同月二〇日午前二時五〇分から血便多量、意識混濁し、同四時二五分死亡したものであり、死因は消化管出血であるが、右出血の原因は慢性腎炎による尿毒症によるものであることが認められ、これに反する証拠はない。

以上によると、博は昭和四七年六月ころから円形脱毛症に罹患し、同四八年三月当時既に慢性腎炎に罹患しており(このことは鑑定人木村武の鑑定の結果によつても認められる)、その後右腎炎の治療を受けたが好転しないまま治療を一時中止しているうち、悪化して死亡にいたつたものである。

そこで前記示談後の病症および慢性腎炎罹患の経緯について検討する。

証人田村清美の証言および原告本人尋問の結果によると、博は本件事故により一戸病院に入院直後三、四日間昏睡状態にあつたことが認められ、成立に争いのない甲第一五号証によると、一戸病院に入院中の博の症状は高熱、嘔吐、頭痛、眩暈等があり、脳内出血が疑われ、対症療法により解熱したが、頭重感、眩暈、耳鳴、身体異和感、意欲低下等の愁訴があつたので、頭部外傷後遺症の治療を施行したところ愁訴が軽快したことが認められる。そして、証人田村清美の証言および原告本人尋問の結果によると、昭和四五年一二月五日一戸病院を退院した後も頭重感、頭痛感、身体のふるえ、倦怠感、虚脱感があり、胸がむかつき、食事もすすまない状態が続き、死亡にいたるまで寝たり起きたりで満足に働くことができなかつたことが認められる。

ところで、成立に争いのない甲第三号証、証人田村清美の証言および原告本人尋問の結果によると、博はサナトリウムの雑役の仕事に就きながら定時制高校に通学し、高校時代柔道をやつたりバレーボールの選手をし(柔道は初段、バレーボールはその後審判の資格をとりコーチもした)、サナトリウムをやめてから兄のこんにやく製造販売の手伝をし、昭和四二年三月定時制高校を卒業してからは、本件事故に遭うまで兄の商売の手伝の傍ら八戸市から魚を仕入れて販売しており、同四五年一月一二日菓子製造の資格をとるため(調理士の資格も既にとつていた)医師の身体検査を受けた際、体格、栄養共に中等で、消化器、呼吸器、血行器、皮膚等各器官共正常で、現在症なく、既往症もないとの検査結果であり、博は七人兄弟姉妹の末子であるが、兄弟中には腎臓疾患や高血圧がある者はいないことが認められ、これに反する証拠はない。

以上、一戸病院に入院中の症状は、頭部外傷による後遺症として治療を受けたように、頭部外傷に基因するものとみられるが、右症状は高血圧の症状とも類似しており、腎臓と高血圧とは密接な関係があり、腎臓疾患から高血圧になる可能性が高いことからすると、右症状は腎臓疾患も影響しているのではないかとの推測が働く余地がないではなく、右病院退院後の症状については、頭部外傷などの他の原因に因る部分があるとしても、腎臓疾患に基因する部分もあるものと推測されるのであり、成立に争いのない甲第一八号証によると、昭和四八年三月一一日鼻出血で一戸病院で治療を受け高血圧症の診断がなされた際、博には頭全体が圧迫された感じがあり手に発汗があり、この症状はときどき出現したことが認められるのであつて、これらのことからすると、鼻出血で一戸病院で治療を受ける相当以前に腎炎に罹患していたことが推認されるのであるが、ただその時期については確定できない。

ところで、成立に争いのない甲第三二号証によると、慢性腎炎の起り方は、急性腎炎が完全になおりきらないで慢性腎炎になる場合と、病気のはじまりが全く判らずに、本人の気がつかないうちに進行し、病気が発見されたときは既に慢性腎炎になつていたという場合があり、現在の医学では、腎炎がなおりきらないで慢性になる原因としては、第一にアレルギー反応により腎炎が起り、その反応の程度が高度で腎臓障害が甚しかつたり、軽度であつても長年月にわたつてくりかえすときに慢性になるが、反応の原因としては、本人の素因と溶血性連鎖球菌(溶連菌)などの細菌による扁桃炎、副鼻膣炎、気管支炎や皮膚感染などがひきがねになるとするもの、第二に腎臓の血液循環障害によるもの、第三に高血圧によるものがあるとされていることが認められるが、鑑定人木村武の鑑定の結果によると、外傷特に腰部打撲などを受けた後に腎障害が生ずることすなわち圧挫症候群が起ることが認められる。そして、右鑑定の結果によると、本件博の腎障害に関し発症時点の外傷が原因であり得る可能性は考えられるが、確かな臨床記録がないので判定する方法がなく、また、右圧挫症候群の症例は多くは急激な悪性経過をとるのが普通であり、治癒することは極めて稀であるから、この点から博の場合慢性腎炎に移行したとの確認は得られないとされている。

以上を総合すると、博は本件事故前腎臓疾患や高血圧症状があつたことは認められず、また、兄弟中に腎臓疾患や高血圧症状のある者がないことおよび後述のように博の当時の年令が二六才という若年であることからすると、本件事故当時博には腎臓障害や高血圧を来す要因はなかつたものと推認されるところ、前述のように、本件事故後腎炎にみられる症状が継続し、慢性腎炎と診断された昭和四八年三月より相当以前に腎炎に罹患したものであることが推認されるのであり、他に腎炎発症の事由あることを窺わせるに足りる事情がないことからすると、博は本件事故による腰部背部打撲によつて腎障害を受け、それにより慢性腎炎に罹患したとみるのが相当である。なお、成立に争いのない甲第三〇号証の一ないし二三および鑑定人木村武の鑑定の結果によると、博が昭和四八年三月岩手医大附属病院に入院した際扁桃炎が存在したことが認められるが、もし博の慢性腎炎の罹患に溶連菌に因る扁桃炎が要因となつていたとしても、それは腎障害があるため右菌による感染と相俟つて慢性腎炎に移行したともいえるのである。右鑑定の結果中外傷による腎障害は多くは急激な悪性経過をたどり治癒することは稀であるという点については、外傷による腎障害がそれ程高度でないためその症状が急激、激烈に発症しなくても、その障害が長年月経過することによつて慢性腎炎に移行することあるいは溶連菌など細菌の感染と相俟つて慢性腎炎に罹患することの可能性も必ずしも否定できないと思料されるのである。

そうすると、博は慢性腎炎に基づく尿毒症に因る消化管出血により死亡したのであるから、博は本件事故による傷害のため慢性腎炎に罹患し、それがため死亡にいたつたものであり、本件事故と博の慢性腎炎および死亡との間には相当因果関係があるというべきである。ただ、博の前述円形脱毛症および多発禿髪症と本件事故と相当因果関係あることを認めるに足りる証拠はないので、右病症と本件事故との相当因果関係は認められない。

四  損害

してみると、被告は博の腎臓障害および死亡に基づく損害を賠償する責任がある。

なお、前述のように博の腎臓疾患罹患の時期は明確でないが、昭和四六年一二月一六日示談成立の際既に罹患していたとしても、示談の内容および弁論の全趣旨によると、右示談にあたり当事者双方共博に腎臓障害が生じていることの認識はなく、右示談は単にそれまでに生じた損害分について合意したにすぎないことが認められるので、被告は右示談成立後の博の腎臓疾患に基づく損害を賠償する責任があるというべきである。

1  逸失利益

原告本人尋問の結果によると、博は、本件事故前前述のようにこんにやくと魚の販売をして、一日三万円位の売上があり、雨の日以外は殆ど休まず働いていたことが認められるので、博は一般労働者の平均給与額を下廻らない収入を得られたというべきであるが、成立に争いのない甲第一号証によると、博は昭和二三年五月一日生の男子であるから、死亡時満二六才であり、簡易生命表によると、昭和四九年当時の二六才の男子の平均余命は四七・二二年であるから、本件事故がなければ、右の年令まで生存し、その間六七才まで四一年間稼働できたといえるところ、労働省賃金センサス昭和四九年度産業計、企業規模計、学歴計、男子労働者のきまつて支給される現金給与額は一か月一三万三、四〇〇円従つて一か年一六〇万〇、八〇〇円、年間賞与その他特別給与額四四万五、九〇〇円合計一か年二〇四万六、七〇〇円であるから、右程度の収入をあげることができ、その間生活費として右収入の五〇パーセントの支出があるとみるのが相当であるので、これを控除した金額の所得があることになる。そうすると、本件事故がなければ、博はなお四一年間稼働してその間一か年一〇二万三、三五〇円の所得があるところ、本件事故によりこれを喪失したことになるから、右逸失利益損害賠償請求権を有することになるが、これを一時に請求するとき、年別ホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除すると、その現在価額は、

1,023,350円×21,970=22,482,999円(円未満切捨)

の数式により、二、二四八万二、九九九円となる。そして、甲第一号証および原告本人尋問の結果によると、原告は博の母で同人の唯一人の相続人であることが認められるので、原告は相続により右博の逸失利益損害賠償請求権を取得した。

2  博の慰藉料

博は示談成立後死亡にいたるまで本件事故による傷害の後遺症である腎臓疾患による症状に悩み、満足に仕事に就くこともできなかつたものであり、その間の精神的苦痛を慰藉するには二〇〇万円をもつて相当とするところ、原告は相続により右請求権を取得した。

3  原告の慰藉料

末子である博が本件事故による傷病に悩み回復せずに死亡するにいたつたことによる原告の精神的苦痛は大きいといえるのであり、これを慰藉するには四〇〇万円をもつて相当とする。

4  弁護士費用

原告が本件訴訟追行を原告訴訟代理人に委任したことは審理の過程上明らかであり、本件損害賠償認容額、本件訴訟の難易等を斟酌すると、その費用として一四〇万円をもつて相当とする。

五  被告の時効の主張について検討する。

博は昭和四九年五月二〇日死亡したが、本件訴訟の提起があつたのが同五二年七月一五日であることおよび被告が同年九月六日の口頭弁論期日に本件原告の損害賠償請求権について消滅時効を援用したことは審理の過程により明らかである。            民法七二四条によると、不法行為に因る損害賠償請求権の消滅時効期間は三年とされ、その起算点は損害および加害者を知つた時とされている。ただ、損害を知るとは、単に損害を知ることのみではなく、被害者において加害行為と損害との間の因果関係の存在までを知ることを要するものと解すべきであるが、本件においては、博や原告が本件事故当時加害者を知つていたことは弁論の全趣旨に徴し明らかであり、証人田村清美の証言によると、博は生前前記示談後における後遺症状が本件事故に基因するものであるとの考えを持つており、博の家族は博の死亡にあたりその死亡が本件事故に基因する傷病によるものであると信じていたことが認められる(これに反する証拠はない)ことからすると、たとえ原告主張のように博の死亡原因追求の結果昭和四九年一二月二五日ころ右死亡と本件事故との間に相当因果関係があることが確信できたとしても、原告において博の死亡時点において権利の行使ができなかつたとはいえないから、本件損害賠償請求権の消滅時効の起算点は博死亡時の昭和四九年五月二〇日と解すべきである(なお、博の後遺症に基づく損害賠償請求についても、右後遺症状は死亡時まで継続していたから、消滅時効の起算点は博の死亡時というべきである)。

そこで、原告の時効中断の主張について検討する。

成立に争いのない甲第三一号証の一ないし三によると、原告は昭和五一年一二月七日二戸簡易裁判所に被告を相手方として本件事故に基づく博の死亡による損害賠償(弁論の全趣旨によると、後遺症状による損害賠償の趣旨をも含んでいるものと解される)請求の調停を申立て、右調停は同年一二月二三日、同五二年二月一七日、同年六月二三日開催され、いずれも当事者双方が出頭したが、合意にいたらず右六月二三日の期日に不成立に終つたことが認められる。ところで、民法一五三条は催告後六か月以内に裁判上の請求などをするときは時効中断の効力が生ずることを定めているが、催告は債務者に対する債権者の履行請求の意思の通知であり、調停申立による請求にも催告の効力があるものと解される。そして、調停係属中は催告の効力は継続しているとみられるから、右六か月の期間は調停が不成立に終つた期日(あるいは取下のあつた日)から起算すべきであり、本件訴は右調停が不成立に終つた昭和五二年六月二三日から六か月以内に提起されたから、本件損害賠償請求権は時効が中断されたことになり、有効に存在しているというべきである。

なお、被告が主張するように調停の申立には民法一五一条の規定が適用されるが、右規定は調停申立自体について時効中断の効力を規定したものであり、調停申立に右規定と別個に前述した催告の効力があることを否定することにはならないというべきである。

そうすると、被告の本件損害賠償請求権の時効消滅の主張は理由がない。

六  以上によると、原告の本訴請求は前述の逸失利益、博の慰藉料、原告の慰藉および弁護士費用合計金二、九八八万二、九九九円および内金二、八四八万二、九九九円(弁護士費用を除く分)に対する博の死亡した日の翌日である昭和四九年五月二一日から支払済にいたるまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を求める限度において正当であるからこれを認容し、その余の請求は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 濱野邦)

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